よしだたくろう「旅の宿」 吉田拓郎がやりたかった音楽とは

1972年、CBSソニーから
シングルレコード
よしだたくろう(吉田拓郎)
「旅の宿」が発売された。

1972年、
CBSソニーから発売のアルバム
よしだたくろう(吉田拓郎)『元気です』にも収録されている。

こんにちは
健康オタクの あんこう です。

今回は、
フォークソング界のスーパースター
よしだたくろう(吉田拓郎)の
大ヒット作「旅の宿」です。

(昭和47年(1972)発売)

フォークの吉田拓郎が
本当はやりたかった音楽とは
を探っていきます。

吉田拓郎「旅の宿」がヒットしたとき


浴衣のきみは尾花の簪
熱燗徳利の首つまんで
もういっぱいいかがなんて
みょうに色っぽいね

作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎

「浴衣のきみはすすきのかんざしー」
で始まる「旅の宿」

きれいな彼女と旅の宿に泊まって
「もう一杯いかが」
なんて色っぽく言われたらどうしよう。

「旅の宿」がヒットしたころ
そんなことを思ったりしたことが

ぜーんぜんなかった。

けっこう毎晩
フォークの仲間や
付き合いの深い演劇部の連中と
下宿の近くのスナックや居酒屋で飲んだくれていた。

すべて男たちで。

親交を深めていたのだった。

「旅の宿」がヒット 吉田拓郎がやりたかった音楽とは

吉田拓郎が1972年に

「結婚しようよ」「旅の宿」を
立て続けに大ヒットさせてから

フォークの潮目を変えたことは
前回書いた。

何年か前に
古舘伊知郎の報道ステーションで
吉田拓郎の特集をしていた。

報道番組で吉田拓郎が?
と思いつつ番組を見た。

20分ほどだと思ったが
2人の対談が続いた。

気持ちが落ち着かなくて
寝付けない夜はウィスキーを片手に
たくろうの「イメージの詩」や
「今日までそして明日から」などの曲を聴いていた。

と言う古舘伊知郎の言葉に
相当な拓郎ファンだということがうかがえた。

そのあと
たくろうが
テレビに出なくなった理由や

本当は
フォークソングをやりたかった
のではないんだということも話していた。

何をやりたかったのかと思って
聞いていたら
GSをやりたかったのだと言っていた。

「結婚しようよ」「旅の宿」が
シングルレコードで
大ヒットを飛ばしたころは

GSタイガースが解散して
沢田研二がソロで活躍をし始めるころだった。

拓郎はジュリーの後釜を狙っていたそうだ。

ギター一本のフォークは続けたくなかったとも言っていた。

ちょうど学生運動が下火になり
高度成長期で
庶民にも余裕が出始めたときだった。

メッセージ性のあるフォークを捨て
ポップなラブソングフォークで勝負したのではないだろうか

時代の流れを見ると
吉田拓郎がやらなければ
他にやるシンガーが出てきたと思う。

拓郎の言葉は
スーパスターになり
平穏な今の時代になったから言えたのだろうと思った。

まとめ

私が結婚してから旅行に出たとき

「旅の宿」を思い出して
色っぽくお酌をしてもらったり
膝枕でうっとりさせてもらった。

のはずだが
お酌は良かったが
膝まくらは枕の高さが合わない。

うっとりするのには高すぎる。

もう飲みすぎちまって
と思って飲んで

そろそろいい感じかな
と思っても

もう飲みすぎちまって
の次のフレーズにならないのである。

どうしてか?

それはね
嫁が先に眠ってしまっていたんです。

MMMMM



ちょめ。



(追伸)

「旅の宿」も
いろいろなバージョンがあって
なんとかというアルバムに
収録されている「旅の宿」のバックギターが

「ブルージーでかっこいい」
というのを
昔、ラジオで聞いたことがある。

しかし
探さないでそのままにしてしまっていた。

この記事を書いていて
思い出したんけど、肝心の
そのアルバム名を忘れてしまった。

年は取りたくないですね。

ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。

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