
1971年、
東芝音楽工業から
ジローズ
「戦争を知らない子供たち」
が発売された。
作詞:北山修
作曲:杉田二郎
編曲:馬飼野俊一
こんにちは
健康オタクの あんこう です。
今回は、
ジローズ
「戦争を知らない子供たち」
です。
昭和46年(1971)
反戦歌なのになぜ反戦歌っぽくないんだろう?
ジローズの前に「戦争を知らない子供たち」が歌われた
「戦争を知らない子供たち」は
1970年8月23日
『全日本アマチュア・フォーク・シンガーズ』が
大阪万博のコンサートで歌ったのが
もともとの
オリジナルソングだ。
作詞:北山修、作曲:杉田二郎
の「戦争を知らない子供たち」は
まだ万博コンサート用の曲として捉えられていた。
当時のコンサートの最後に
全日本アマチュア・フォーク・シンガーズによる
「戦争を知らない子供たち」が歌われた。
歌の前に
北山修は次のようにスピーチした。
僕らおかげさまで
戦争を知らない子供たちというふうに
して自分たちを呼ぶことができます。
でも完全に
戦争を知らないというふうにして
言えない面もあります。
よその国では
戦争を知っている子供たちもたくさんいます。
願わくば100年後、200年後、
僕たちの子供たちが
またその子供たちが
戦争を知らない子供たちだというふうに
このタイトルと同じタイトルの下で
世界中のみんなが同じような
音楽会を開ければすごい幸せだと
とってもいいことだと
思います。
スピーチで分かるように
「戦争を知らない子供たち」
というタイトルに
反戦のテーマ性を感じとることができる。
YouTube:「戦争を知らない子供たち」 全日本アマチュア・フォーク・シンガーズ
反戦歌なのになぜ反戦歌っぽくない?
この翌年
『シューベルツ』解散後
杉田二郎が
第2次『ジローズ』を結成したとき
反戦のテーマ性を感じとったんだろう
「戦争を知らない子供たち」
をデビュー曲にした。
この曲が
テレビ・ラジオで放送されると
「戦争を知らない子供たち」は
瞬く間に知れ渡りヒットしていった。
私が最初受けたショックは
ネーミングの良さ。
戦後生まれはみんな戦争を知らない子供たちだ。
フォーク世代も戦争を知らない子供たち。
この歌を聞く人のほとんどは
戦争を知らない子供たちだろう。
こんなに若者に受ける言葉はない。
戦争経験のある大人がなんと言おうと
若者の歌なんだ。
いや、『戦争を知らない子供たち』
という言葉に大人たちも食いついた。
次に受けたショックは
反戦歌なのに反戦歌っぽくないこと。
反戦歌なのにロマンチックなんです。
北山修流なんです。
当然
戦争反対とは一言も言っていない。
♪
夕陽がかがやく小道を
一緒に歩いてゆこう
僕らの名前は
戦争を知らない子供たちさ
♪
と
平和なこの時代がいつまでも続いてほしいと歌っている。
つまり反戦歌なんですね。
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