吉田拓郎「マークII(マーク2)」は因縁の曲 テレビ出演拒否の真相

1970年、エレックレコードから
吉田拓郎(よしだたくろう)の
デビューシングル
「マークII(マーク2)」が発売された。

「イメージの詩」のB面に収録されている。


こんにちは
健康オタクの あんこう です。

今回は、
フォークソング界のスーパースター
吉田拓郎(よしだたくろう)の
デビューシングル

「マークII(マーク2)」です。

(昭和45年(1970)発売)

テレビ出演拒否の真相を解き明かしていきます。

吉田拓郎「マーク2」が深い

当時、曲を聴いて
タイトルが
「マークII(マーク2)」って
なんだ。どういうことだ。

って思っちゃった。

あとから聞いたところによると
トヨタのマークⅡのことらしいんだが。

タイトルの付け方が深いんだよね。

それを知って

恋愛ソングなんだけど、
再開したときはみておれよ

おれだって。

と聞こえてきた。

当時聞いた時はそこまで理解できていなかった。

恋愛ソングでもメッセージがあったんだ。


さよならが言えないでどこまでも歩いたね
街あかりさえ消えて足音が淋しいよ
わかってくれるただ一人の君を
はなしたくないのに冷たいこの世界

みつめたら泣いていたいとおしい君だった
悲しみをこらえてる傷ついた若い恋
また会う時は大人になっているだろう
別れたくないのに冷たいこの世界

年老いた男が川面を見つめて
時の流れを知る日が来るだろうか

作詞・作曲:吉田拓郎

何年か前、NHKのSongsで
吉田拓郎特集をやったのを見たが

「70年代の若者は老成していた。
30~50歳くらいのおじさんが
言いそうな話しを語り合っていた」

と言っていた。

70年代の若者
みなが老成とはいえない、私がそうであったように。

しかし
拓郎の回りには
先を見据えて行動していた仲間が
多かったんだろうと思う。

そして吉田拓郎自身も。

吉田拓郎、テレビ出演拒否事件の真相

吉田拓郎がテレビに出ない。
取材も受け付けない。

ということは当時有名なことだった。

それは拓郎だけでなく
他のフォークシンガーも同調していくことになっていった。

私はそのころ
体制側のテレビ局に反旗を翻しているものだと思っていた。

しかし
真相はちょっと違っていた。

これもSongsで語っていたことです。

それは吉田拓郎がヒットを連続し
多忙を極めているときに起きた。

テレビ局から
初の歌番組の出演依頼があった。

初のリハーサルにスタジオ入り。

テレビ局となんの打ち合わせもなくリハーサルが始まった。

通常、歌番組では番組の時間内に
できるだけの楽曲を放送するために
曲を縮めて演奏するという。

吉田拓郎は
初めてのテレビ出演だったためそれを知らなかった。

一番の歌詞を歌って
二番の歌詞を歌ったがなんかおかしい。

バックの演奏と合わない。

後から分かったことだが
二番を抜いてサビに移っていたという。


おかしいおかしいと思っていたら
突然、暗闇の方から
「バカやろー」
と怒声が。

そういったきり、
怒声の主は暗闇から出てこない。

どういうことなんだ
と思ったと同時に
「なんだこのやろー。
 だれだてめーは」

と怒りが燃え立ち
それ以来、
テレビ出演はしなくなったということだった。

マーク2

その後、
ご存知のように
コンサートのみの活動で
若者の心をつかみ

歌謡曲界の歌手にも楽曲を提供して
ファン層を拡げ

吉田拓郎独自の世界を創り上げた。


ところで
先述のテレビ出演拒否の
発端となったときに歌った曲は




「マークII(マーク2)」

だったと言っていた。


(これは報道ステーションで。)


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