五つの赤い風船「これがボクらの道なのか」 脱出できたのは誰だったろうか。

1970年、URCからアルバム『巫OLK脱出計画』を発売。
「これがボクらの道なのか」が収録されている。


こんにちは
健康オタクの あんこう です。

今回は、
アンダーグラウンドの大御所
五つの赤い風船の

ライブには欠かせない名曲「これがボクらの道なのか」です。
(昭和45年(1970)発売)

アルバム『巫OLK脱出計画』
どこから脱出するのか
読んでからのお楽しみ。

「これがボクらの道なのか」公演。準備開始!

「これがボクらの道なのか」が
発売されてから数年後
私は学生生活2年目をおう歌していた。

女子短大の学祭に飛び入りで出演したり

下宿の近くのスナックへ頻繁に通い
常連となっていた。

(飲み代はもちろん、皆、自分で稼いでいましたよ。)

そのスナックのママが、歌が好きで
私たちと同年代だったのもあり
我が同好会とコラボするようになった。

フォーク同好会の行動範囲も広くなっていました。

そんなとき、フォーク同好会も
市民会館でコンサートをしようということになり

席数が500席ほどのホールを予約。

司会を女子短大の顔利き女子に頼むと二つ返事でOK。

彼女、服装科の学生だけあって
着るものすることセンスのある女性。

おまけに女子短大の大ボスで太っ腹、
心臓に毛が生えている。

頼りがいのある女性です。

コンサート当日の炊き出しは
入学当初から親交のあった演劇部に頼んで準備完了。

あとは自分たちの演奏に磨きをかけるだけ。

初めて500人規模のホールで演奏
するんだから「ガンバルぞ!」
の掛け声で
講義終了後に集まって練習に明け暮れた。

その中で、全員で歌う曲を
五つの赤い風船の「これがボクらの道なのか」
に決めた。

「これがボクらの道なのか」
に決めた理由は、五つの赤い風船が
ライブで演奏しているときの楽しさ。
(歌詞を見るとけっこう意味深だが)

そして
繰返し部分をだんだん速くしていって
自分たちがノリ、
お客さんも乗せていっているところだった。

これを狙って猛練習。

繰返し部分


おぉ 今も昔も変わらないはずなのに
なぜ こんなに遠い
ほんとの事を言って下さい
これがボクらの道なのか

作詞・作曲:西岡たかし



二番の詞


輝く大きな森の中に
足をふみこめば
若い力のかけらもなく
あるのは死にたえた草木

若いころは気にもかけなかった詞だが
齢をとってからこの二番の詞を見ると
ギクっとさせられる。

『勇んで社会に飛び込んだが
現実は老がいで老朽化した組織の中
自分の発言も認められず
地べたにはいつくばって生きていくしかない』

こんなことを言いたいのだろうか。

実際、私も似たような人生だった。

若いうちに詞の意味をかみしめるんだった。

さすが
才人 西岡たかし です。

「これがボクらの道なのか」全員一丸で歌った

いよいよ公演当日。

自分の持ち歌は自己主張をすること。

グループで演奏するときは
テンポを合わせる
ハーモニーを大事にする

ことを確認して幕を開けた。

結果はどうだったかって?

初公演だったから
みんな緊張していたが
それなりに自分を主張していたと思う。

サイコーでしたよ。




そういえば
回収したアンケートには

「焼酎3杯飲んで、グラウンド3周してから演奏しろ」

と書いてありました。

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