
1971年に放映された
モービル石油(現:ENEOS)
のCMに使用された。
同年、
フィリップスレコードから
マイク真木の
たった一度の人生のB面で
「気楽に行こう」が発売された。
作詞・作曲:マイク真木
こんにちは
健康オタクの あんこう です。
今回は
昭和46年(1971)
のCMで知れ渡った
マイク真木の「気楽に行こう」です。
「気楽に行こう」鈴木ヒロミツが大当たり
私たちの年代で
1971年に放映された
モービル石油のCMを知らない人は
いないと思います。
鈴木ヒロミツと藤達也CM演出家の木村俊士が
田舎の舗装なしの道で
ガス欠になった車を押していくCM。
バックに
マイク真木の「気楽に行こう」の歌が入っていた。
最後に市街まで押してきて
『車はガソリンで動くのです』
と加藤和彦のナレーションが入ってくる。
当時、テレビを持たない私でも
覚えているからこのCMは
しょっちゅう流されていたと思う。
高度成長期のゆったりした感じがうまく現れている。
♪
気楽に行こうよ 俺たちは
あせってみたって 同じこと
♪
と歌い上げている時代だったんだ。
同じころ
かまやつひろしの「どうにかなるさ」
高田渡の「生活の柄」
が発表されて
いずれも若者に支持されていた。
昭和の楽しい時代
私たちの学部は夜間の学部なので
裕福な学生はいなかった。
が、皆アルバイトをして
生計を立てていたのでそれなりの生活はしていた。
いつだったか忘れたが
夏休みを利用して
仲間の4人が集まって
日本一周とまではいかなかったが旅行に出かけた。
私は行かなかったのだが。
旅行の足は中古の軽乗用車。
それなりに動いていたから
「大丈夫だろう」
と思っていたんだろう。
少し
整備をして出かければ良かったのに
軽に4人乗って長距離を走る。
それも暑い夏に。
やはり、やりました。
予定の8割くらい走ったところで故障。
ところが
4人の中に機械に強い奴がいて
故障個所を見つけた。
あとは、4人で考えて応急処置をしたという。
その処置がよかったのか
無事予定通り戻ってきた。
今思えば
若者の無茶ぶりなんだろうけど
うまく乗り切って帰ってきた。
帰ってくると4人は
車が故障したこと
うまく故障に対処できたこと
を楽しそうに語っていた。
♪
のんびり行こうよ 俺たちは
なんとかなるぜ 世の中は
気楽に行こう のんびり行こう
♪作詞・作曲:マイク真木
ですね。
今の学生だと
こんな無茶なことをする奴はいるんだろうか。
昭和のあの時代だったから
やれたのではないだろうか。
エピローグ
今、石油会社のCMを作るとしたら
加藤和彦のナレーションは
どうなると思いますか。
『車は電気で動くのです』
かな。
その後は
『車は水素で動くのです』
だろうね。
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コメント
文中の、藤達也は間違いです。
当時の素人さんで、似てはいますが別人だそうです。
改めて調べたら、CM演出家の
木村 俊士さんらしいです。
花山兵庫さんご指摘ありがとうございます。
調べてみましたら
CM演出家の木村俊士さんのようですね。
訂正いたします。