こんにちは
健康オタクの あんこう です。
今回は、
南こうせつとかぐや姫
「神田川」
です。
昭和48年(1973)
「神田川」の時代は
ベルボトムと3畳一間と銭湯。
1973年懐かしいね。
「神田川」の時代はベルボトム
南こうせつとかぐや姫
「神田川」のレコードジャケットの
写真を見ると
3人ともベルボトムのジーンズ姿。
あの頃はベルボトムが多かったなぁ。
私はファッションに
ちょっとうるさい友達が重用していた
スリムジーンズを真似して穿いていた。
ベルボトムの前に流行ったジーンズで
今のスリムほど細くなくゆとりがあった。
ちょうど太もものあたりが
ゆったりしていて裾の方へだんだん
細くなっていた。
叔母が私の穿いているジーパンを見て
「乗馬ズボンみたいだね」
私は
「乗馬ズボンほど
太ももは太くないわい」
と内心思っていたが
そう言い返せない私でした。
友達はこのジーパンを
『トップ』と呼んでいた。
ベルボトムが流行してくると
『トップ』を店頭に並べる店がなくなって
ジーパン屋さんでストレートを
詰めてもらって穿いていたなぁ。
私としてはこの『トップ』ジーンズが
一番のお気に入りです。
リバイバルで売り出せばいいのに・・
「神田川」の時代は3畳一間と銭湯
「神田川」を聞くと
懐かしい学生時代を思い出す。
南こうせつとかぐや姫のこの曲が
一番学生時代の情景を描いているから。
私の下宿は3畳一間で
作り付けのベッドがあった。
そこに机を置いて
家財道具はラジカセとギターくらい。
同棲する相手もなく
この広さで十分だった。
私が住んでいた所は住宅街で
一般住宅や団地が立ち並んでいた。
その端っこに大学があり、
その周辺に学生が住んでいた。
当時、家風呂がある家庭は少なかった。
新しい一軒家に
風呂が付いているくらいだった。
団地にはまだ風呂は付いていなかった
と思う。
こんな状況でこの付近の銭湯は1軒のみ。
ちょっと時間を間違うと
銭湯の洗い場は大混雑。
シャワーを確保するのに
湯船に腰かけて血眼になって探した。
とても歌のような風情はなかった。
それでも
この情景はよく分かる。
♪
洗い髪が芯まで 冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った
♪作詞:喜多条忠・作曲:南こうせつ
銭湯から下宿まで5分ほどの
冬の道のりをテクテク歩いた。
昼間は働いていたので
勤め先から軽自動車を貸与されていた。
だから車で行くという手もあったが
今のように銭湯に駐車場は完備されていなかった。
♪
若かったあの頃 何も怖くなかった
♪作詞:喜多条忠・作曲:南こうせつ
そうだよな。
居酒屋さんで酔いに任せて
お客さんに食ってかかっていたっけ。
今この齢では恐ろしくて
とても喧嘩を売るなんてことはできない。
若さの特権、怖いもの知らずだった。
よく無事に過ごせたもんだ。
エピローグ
この曲の詞を聞いていると
思うんだけど
男が女より長風呂だ。
♪
二人で行った 横町の風呂屋
一緒に出ようねって 言ったのに
いつも私が 待たされた
♪作詞:喜多条忠・作曲:南こうせつ
男が女を待たせたなんて
普通は逆だよね。
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