
1968年、
東芝音楽工業から
フォーク・クルセダーズ
「悲しくてやりきれない」
が発売された。
作詞:サトウハチロー
作曲:加藤和彦
こんにちは
健康オタクの あんこう です。
今回は、
フォーク・クルセダーズ
「悲しくてやりきれない」
です。
昭和43年(1968)
「悲しくてやりきれない」ができるまでこんな裏話が・・
新メンバー
はしだのりひこはどういう理由で加入したんでしょう?
フォークル「悲しくてやりきれない」はこうしてできた。
フォーククルセダーズの
「帰ってきたヨッパライ」が大ヒット
した2曲目の歌は「イムジン河」だった。
しかし、
「日本語詞が原作の詞に忠実でない」
という理由で発売日直前に
突然、発売中止になった。
「イムジン河」 なぜ?
発売中止後も東芝の対応は速かった。
加藤和彦を
某放送局の社長室に缶詰めにし、
3時間ほどで曲を作らせた。
この時の曲の作り方が興味深い。
「イムジン河」の音符を
逆にたどって書いていくうちに
モチーフができあがり
「悲しくてやりきれない」の
メロディーができ上がったという。
その足で
すぐ作詞家のサトウハチロー宅へ行き
作詞を依頼して帰ってきた。
その後2週間ほどで
詞ができあがって送られてきたという。
昭和時代のゆったりしたメロディー。
それにぴったりハマったサトウハチローの歌詞。
サトウハチローによってやりきれない
やるせなさが表現された。
加藤和彦もサトウハチローも
「イムジン河」の発売中止の切なさ
やるせなさを表現しようとしたのではないのだろう。
二人の感性がピッタリ合った結果
生まれてきた曲なんだろうと思う。
はしだのりひこの加入理由が面白い
フォークルは
北山修と加藤和彦の間に
はしだのりひこが入って演奏している。
長身の二人の間に
背の低い「はしだ」が挟まっている。
でこ・ぼこ・でこトリオだ。
実は
はしだのりひこはフォークルの
最初のメンバーではない。
フォークルの
学生時代の解散コンサート後、
「帰ってきたヨッパライ」が注目され
プロになることになった。
そのとき最初からのメンバーの
平沼義男さんがプロになることを断った。
そのため代わりのメンバーを探すことになった。
その時、候補に浮かんだのが
「はしだのりひこ」と杉田二郎だった。
「はしだ」が加入したのだが
その理由が面白い。
平沼義男さんは背の低い人だった。
加藤和彦が
「解散前のでこぼこトリオでいこう」
という理由で
「はしだのりひこ」に決まったということだ。
この加入の理由にはもう一つあるらしい。
「はしだのりひこ」と
杉田二郎が候補に挙がったが
加藤和彦が「はしだ」の
「ハイトーンの声が
フォークルに必要だ」
ということで決まったという。
これは両方の理由で加入が決まったんでしょうね。
エピローグ
私の高校時代は
卒業までクラスの編成替えがなかった。
3年間同じ級友だったから
みんな気心の通じ合う仲間だった。
その中でも親しくしていた仲間たちも
卒業してから10年間くらいで
4人も他界してしまった。
その時いつも
「悲しくてやりきれない」を
思い出して聞いていたが
この歌は
歌詞とメロディーがぴったり合い
聞くたびに涙がジワーっと出てきて
その後
5年くらい前までは聞く気にはなれなかった。
それでも自分自身も高齢になり
そろそろ『あの世』のことも考えるようになってきた。
『封印』を解こう。
悲しい時には悲しいと言い
悔しい時には悔しいと言おう。
これからは
悲しい時、悔しい時に
「悲しくてやりきれない」を聞き
この歌を歌っていこう。
そう思うようになった。
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