
1968年、
ビクターレコードから
高石ともや
「受験生ブルース」
が発売された。
写真はオンデマンド版CD
作詞:中川五郎
作曲:高石ともや
こんにちは
健康オタクの あんこう です。
今回は、
高石ともやの
「受験生ブルース」
です。
昭和43年(1968)
「受験生ブルース」のもと歌は
ボブ・ディランの曲だったとは。
さて
「受験生ブルース」から
気づいたこととはなんでしょうか。
高石ともや「受験生ブルース」のもと歌はボブ・ディラン
高石ともや「受験生ブルース」の
作詞は中川五郎です。
中川五郎は
高石ともや、フォークル、岡林信康、
五つの赤い風船、高田渡たちと同じ
アングラフォーク(関西フォーク)
の時代に活躍したシンガーソングライターだった。
少し性格が地味目な感じを受け、
先頭に立って走っていくという存在ではなかった。
それでも
1967年から1968年頃は
ラジオでよく聞いたアーティストだった。
このころのフォークは
アメリカのフォークを
訳詞して歌ったり
アメリカンフォークの曲に
自分で作った詞をのせて歌ったりしていた。
この「受験生ブルース」も
もと歌はボブ・ディランの
「炭鉱街のブルース」という曲だ。
詞を自分で作って
「炭鉱街のブルース」の曲に乗せて歌っていた。
これを聞いた高石ともやが
曲を日本人に合わせて
作り直して歌ったのが
「受験生ブルース」だ。
受験戦争をコミカルに歌い上げていますね。
よくラジオで流れていました。
なんだか現在の受験世代にも通じる歌ですね。
高石ともやの「受験生ブルース」からの気づき
「受験生ブルース」がヒットしたころ
私も
♪一流の大学入らねば♪
と
せっせと受験勉強に明け暮れて
いなければならないはずなのに
どういう訳か悠然とかまえ
ラジオの深夜放送にうつつを抜かしていた。
生来の楽天気質なのか
将来設計を立てられないガキだったのか
未来を見据えていなかった。
高校時代の友達はというと
彼も、私と似たり寄ったり。
類は友を呼ぶ
友は類を呼ぶ
とでもいうのか二人とも危機感はなかった。
なんとなく高校に入り
なんとなく大学受験をめざした。
よくも
似た者同士がめぐり逢ったものだ。
高校生活は真面目そのもの。
おとなしくもなく
目立つこともなく
の平平凡凡の生活だった。
それでも一度だけ無断欠席があった。
朝の登校時
二人はいつも途中で待ち合わせて
学校に向かっていた。
しかし
その時は二人とも気持ちが乗らなかったのだろう
どちらからともなく
「なんか、サボりたいよな」
と言い出し
二人の気持ちが一致した。
ちょうど高校の近くの球場で高校野球の予選をやっていた。
「予選でも見に行くか」
とここでも一致して
一日、無断サボタージュ。
翌日、学校に行ったが
何も言われず何も聞かれなかった。
真面目生徒だったから信用されたのか
「不届き者は後から後悔するんだよ」
と無言で無視されたのか
定かではないが
あっさりとした一日だった。
今、考えても不思議な感覚だった。
「なんで反応してしてくれないんだ」
「よし、うーんと悪になってやるぞ
これからは」
と不良の道に突き進む勇気もなく
これ以降は真面目生徒に戻って
高校生活にいそしんだ。
しかし
方向性を定めたわけではない。
だから
勉強に身が入ったわけがなかった。
♪
勉強ちっともしないで
こんな歌ばっかり歌ってるから
来年はきっと歌ってるだろ
予備校のブルースを
♪作詞:中川五郎・作曲:高石ともや
そうなんです。
無計画・無目標の高校生には
厳しい試練が待っていました。
おかげ様で二人揃って浪人生活となりました。
「受験生ブルース」を聞いて
こんなことが思い出されました。
中学生・高校生のときに
自分の根幹となる考えを持たないとダメなんだ。
エピローグ
やらなきゃならないことをやるだけさ、
やるべきことをやるんだよ。by ボブ・ディラン
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