井上陽水「人生が二度あれば」 この曲が始まりだった。


こんにちは
健康オタクの あんこう です。

今回は
フォークソング界のスーパースター
井上陽水の初のシングル
「人生が二度あれば」です。

(昭和47年(1972)発売)

この歌から井上陽水の進撃が始まった。

ようやく訪れた、脱アングラフォーク時代

1970年代初頭まで
フォークソングは
反体制・反戦フォークだった。

しかし
70年安保の締結、
ベトナム戦争から米兵の撤退、
学生運動の終末

激動の社会変化で
1960年代後半から続いた
反戦・反体制フォークは
若者の支持を失っていった。

この潮目をいち早く見極めたのは
吉田拓郎だった。

拓郎は若者の心情を描いたラブソング
「結婚しようよ」
「旅の宿」

を連続でヒットを飛ばし

ニューフォークという分野を作り上げ
若者の支持を集めた。

ちょうどその頃、井上陽水は
日常生活を
自分の内からの言葉で詞にした。

井上陽水の
きれいな高音と
美しいメロディが私たちの心をとらえ始めた。

井上陽水にもようやく出番が回ってきた。

人生が二度あれば

井上陽水が
両親を見つめ

自分を育ててくれた感謝を
そのままストレートに歌い上げている。

私の若いときに当てはめると
親はこの歌詞のとおりだったと思う。

そして
今の私も子育てを終わって
同じような経験をしている。


陽水は
今も昔も変わらない親子の絆を
20代半ばで的確に描写している。

やはり陽水は天才なんだろう。


父と母がこたつでお茶を飲み
若い頃の事を話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば この人生が二度あれば
人生が二度あれば この人生が二度あれば

作詞・作曲:井上陽水

井上陽水の「人生が二度あれば」を歌う

3年生のとき
市内のレストランでライブ演奏をした。

後輩のグループが
井上陽水の「人生が二度あれば」
を歌った。

このグループのリーダーが
ワンボーカルで切々と歌い上げた。

リーダー
音域が広い奴で高音がいとも簡単に出せる。

詞の内容を自分に当てはめて
自分の事のように歌っている姿は圧巻だった。

吉田拓郎や井上陽水が
若くして老成していたように

彼も老成の域に達するかのように・・

エピローグ

もし人生が二度あったら
どんな親子のきずなを作れるだろうか。

もっと良い結果を残せるだろうか。

私は
もちろん良い人生の結果に挑戦する。

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