「花嫁」はしだのりひことクライマックス 駆落ちの歌【秘話】

1971年、
東芝音楽工業から
はしだのりひことクライマックス
「花嫁」

が発売された。

作詞:北山修
作曲:端田宣彦・坂庭省悟
編曲:青木望


こんにちは
健康オタクの あんこう です。

今回は、
はしだのりひことクライマックス
「花嫁」
です。

昭和46年(1971)

北山修・端田宣彦コンビの名曲。

駆け落ちの歌なのにどうして明るい?

「花嫁」作成時の秘話とはなんでしょう。

駆け落ちの歌 はしだのりひことクライマックス「花嫁」

はしだのりひことクライマックス
の「花嫁」を久しぶりに聴いた。

イントロが始まって
ドラムの音が汽車のように走っていく。

藤沢ミエの低く、力強く伸びる声が聞きやすい。

詞は駆け落ちの歌だが
その声と
詞と曲と編曲がぴったり合わさって
明るく感じる。

「うーん、これだよな」
「これが『花嫁』だ」
「この声でないと『花嫁』じゃない」

思わず唸った。

こんな名曲なのになぜ最近放送されないのか。

歌のタイトルは「花嫁」だが
駆け落ちの曲だから
結婚式場ではかけられない。

結婚祝いの歌でも歌えない。

駆け落ちを助長したらいけないと自粛しているのか。

当時はあれだけヒットしたのに。

ブームが去るとこういうものなのか。

もっとテレビ・ラジオで取り上げて欲しいものだね。

「花嫁」の結婚観

♪命かけて燃えた恋が結ばれる♪

明るい未来に希望を持って向かっている。

♪帰れない何があっても心に誓うの♪

♪何もかも捨てた花嫁夜汽車にのって♪

親の反対にあっても
遠方に住む彼の所へ何がなんでも行く
という覚悟がうかがえる。

それでも
藤沢ミエは「花嫁」を明るく歌い上げている。

これがヒットした要因だと思う。

今聞くと
夜汽車がなつかしい。

昔は遠くへ行くとき
一泊するホテル代を浮かせるために
車中泊をしたもんです。

私の母の時代では
嫁入りするときは相当な覚悟を持っていたと思う。

私が若い時
テレビのドラマを見ていると
結婚するとき母親が娘に

「二度とうちの敷居を
またぐことがないように頑張るんだよ」

といったセリフをよく聞いた。

「へぇー、
 結婚するって大変なことなんだ」

と若い私は思っていました。

今みたいに
「結婚してみて合わないから別れる」

なんてことは考えられなかった。

今じゃ考えられないことですね。

そうか今は同棲して
「相性を確かめてみてから結婚」

という手があったか。

「花嫁」作成での秘話

フォークルは結成1年で解散したが
2002年に新結成され
一度きりのコンサート
『新結成記念解散音楽會』
が行われた。

このときのコンサートが
NHKのBSで放送され
私も見たが
フォークルのメンバーは
加藤和彦、北山修、坂崎幸之助の
3人だった。

端田宣彦がいなかった。

「なぜだろう」

そのとき不思議に思ったことを覚えている。

その理由が最近わかった。

実はこの「花嫁」の歌詞選択で、
もめ事があったらしい。

曲は端田宣彦、坂庭省悟が作った。

プロデューサーは
北山修に作詞を頼んだ。

詞ができあがり
端田宣彦らと
スタジオで曲乗せをする日になった。

だがその日、端田宣彦は
別の人にも作詞を頼んでいて
この歌も歌わせて欲しいと
頼んだ。

当然、プロデューサーも北山修も
承諾しなかった。

が、端田宣彦の粘りに負け
曲乗せをすることになった。

その後、どちらの詞を採用するか
互いに譲らなかった。

その時、たまたま
スタジオに岡林信康が来ていて
二つの曲を聞いていた。

そこで一言
「花嫁のほうがいいんじゃない」

で北山修の詞が採用されることになったという。

鶴の一言ならぬ、神の一言だ。

この時以降
北山修と端田宣彦は断絶状態になったという。

こんなことがあったんですね。

謎が解けました。

2009年に
加藤和彦が亡くなったとき
端田宣彦がテレビのワイドショーで
インタビューされていた。

その後の会見で
北山修が
「あいつはフォークルのメンバー
 じゃないのに何で出てくるんだ」

ちょっと
表現が違っているかもしれないが、
このようなことを言っていた。

このときも
「どうしてこんな事をいうんだろう」

「フォークルのオリジナルメンバー
 じゃないんだから
 しゃしゃり出てくるなよということかい」

「北山修もそんなことで怒るなよ」

くらいに思っていた。

しかしこの作詞事件を知って
すべてに合点がいきました。

「花嫁」の作詞のときからだったんだ。

これじゃ北山修も頭にくるわな。

その後、端田宣彦が亡くなる3年前、
2014年、端田宣彦が北山修に謝り和解した。

その3年後、
北山修のライブにゲスト出演した。

そしてその年
パーキンソン病で亡くなった。

43年もの間の軋轢に終止符を打ち
端田宣彦も思い残すことなく逝けたでしょう。

また、北山修も
生きていて和解できたことにホッとしたでしょう。

エピローグ

もし
端田宣彦が頼んだほうの詞で発売
していたらどうなっていたんだろう。

この記事は
Wikipedia、
名曲『花嫁』創作の秘密 ~はしだのりひことクライマックス~ 大ヒットの陰の意外な舞台裏
(https://ameblo.jp/atom2460/entry-12484204970.html)
を参考にさせていただきました。

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