加川良 「下宿屋」が封印?真相は?

1972年、URCからアルバム『親愛なるQに捧ぐ』を発売。
「下宿屋」が収録されている。

こんにちは
健康オタクの あんこう です。

今回は、
かたくなに
アンダーグラウンドの世界に
こだわった加川良

彼の名曲「下宿屋」です。
(昭和47年(1972)発売)

本当に封印されていたのか?

解析していきましょう。

「下宿屋」の魅力

「下宿屋」が高田渡との関係を
描写した曲というのは
余りにも有名なことですね。

当時、無名の加川良が
中津川フォークジャンボリーで
ステージデビューができたのは
高田渡の推薦だったということも有名なことです。

それ以来、
たまり場だった高田渡の下宿に
入りびたりだったんでしょう。


湯のみ茶わんに お湯をいっぱい
いれてくれて

「そこの角砂糖でもかじったら」って
言ってくれました。

そのとき「ありがとう」と答えて
うつむいたのは

胸が痛みだしたことと
僕自身の後ろめたさと・・

作詞・作曲:加川良

この詞から
まだ充分に稼ぎがなかった時に
作っていた詞なのかなぁと思われます。

しかし
加川良にとって
一番楽しい時期だったんではないだろうか。

これは私の勝手な想像です。


「下宿屋」の話に戻そう。

この語りとも朗読ともつかない
加川良独特の語調で始まる唄。

いつうたが始まるんだろうと
思っていてもなかなか始まらない。

やっと始まったと思ったらすぐまた語りになる。

全編に奏でるベース音の効いたチャーチリック奏法。

これぞ「下宿屋」の世界。


リズム感がいいんですね。

音感がいいんですね。

説得力のある語り口

これぞ加川良ワールドです。

学祭で加川良が・・

このころ私は
昼間の仕事を終え学食で夕飯を食べ、
3時間ほど講義を受けた後

フォーク同好会の仲間たちと
学祭へ向けて楽曲の練習と、
忙しい一日を過ごしていた。

以前に、入学早々
寮祭で歌って、どうしようもない恥をかいてしまったが

それが幸いしたのか
最上級の先輩たちが抜けたあと
同級生らが入会してくれて楽しい学生生活を送っていた。

『恥は、金を払ってでもかけ』

という金句?もあるが
恥をかいた分、今になっても付き合う仲間を得た。

お金は出しませんでしたが。

順風満帆だった。

だが、音楽的なセンスは一向に上がらない。

当時は若さにまかせて
がむしゃらに練習れんしゅう。

当時はそれで何とかなっていた。

学祭ではフォーク喫茶を開催した。

このときで一番記憶に残っていたことを発表します。

私より後から入ってきた
一年先輩が歌い始めたのがこの曲「下宿屋」

この先輩、可香谷次郎といいます。

加川良のギター奏法をまねしてイントロに入った。

大真面目に演奏をしています。

そして語りが入ります。


京都の秋の夕暮れは
コートなしでは寒いくらいで

 ・
 ・
 ・
 ・
 ・

「こんばんは かがわりょう です」

これが受けた。

絶妙のタイミングで言ったもんだからみんな大爆笑。

仲間うちで。

「下宿屋」が封印?

いつだったか忘れたんですが
ラジオで聞いた話。

加川良が「下宿屋」を歌わなくなった?

という話。

どうしてかという理由を聞き逃したが

確かに
「歌わなくなった」

と言っていたのを記憶している。

封印は本当か?

社会人になって
加川良のライブを2回見るチャンスがあった。

一回目は卒業してから5年後。

労組で主催したミニコンサートだった。

このときは「下宿屋」を歌ったのだ。

だが、テンポが速い。

やけに速いなと感じた。

どうして速いテンポで歌ったんだろう。

ふと、あのときラジオで
「下宿屋」を歌わなくなった

と言っていたのを思い出した。

もしかして、
主催者側からどうしてもと
お願いされてしかたなく歌ったんだが
その結果、テンポを速くして切りあげたんではないだろうか。

と、かってに憶測していた。

二回目は卒業してから25年くらい後。

ライブハウスで1時間半くらい。

前から4列目でなま加川良を堪能した。

がこのときは「下宿屋」は歌われなかった。



YouTubeで「下宿屋」を探してみた。

加川良の4・50代のころの
「下宿屋」動画があった。

4・50代のころの動画で歌っているんだから封印ではない。

ではなぜ加川良の代表曲を
生で歌う回数が減ったんだろうか。

この動画で加川良は言っている。

「下宿屋」の設定として
場所は高田渡の下宿屋である。

歌詞の内容は高田渡だけでなく

岡林とか
いろいろな人が出入りしていたので
その人たちのことを書いている。

加川良が高田渡のことを「渡くん」
といっている。
(年齢は加川良の方が上。)

この曲を作ったころ、
高田渡は
加川良にとって雲の上の人。

しかし、
年を重ねるにつれ
高田渡たちと対等に近い付き合いが
できるようになった。

それで詞の内容からいっても
違和感を感じて
積極的に歌わなくなったんではないか。


これが真相だと私は推察する。

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