森進一「襟裳岬」 名曲 ヒットの裏の秘話

1974年、ビクターレコードから
森進一の
シングルレコード
「襟裳岬」が発売された。

作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎


こんにちは
健康オタクの あんこう です。

今回は、
独特のハスキーボイス歌手
森進一の「襟裳岬」です。

(昭和49年(1974)発売)

名曲「襟裳岬」のヒット秘話を解き明かしてみます。

名曲 森進一「襟裳岬」ヒットの裏の秘話

岡本おさみ作詞の「襟裳岬」

♪襟裳の春は 何もない春です♪

と歌った詞は余りにも有名です。

岡本おさみは襟裳岬を見て
「ただガランとしてて
 しばらくいたけど
 すごい気持ちよかった。
 気持ちよかった。
 フワァーとしててね」

「この気持ちが
 『何もない』
 という詞になった」

と後に語っている。

地元の人たちは
最初
『何もない』
とはどういうことだ。

と憤慨していたそうだが
今はそんなことはない。

歌の良さが分かったのだろう。

昔は陸の孤島と呼ばれていたえりも町。

今は
国道が整備され、自由に行き来できる
よく見かける昆布漁師町だ。

冬、雪は少ないが風が強い。

この冬の厳しさ
海の荒々しさを超えて、
まだまだ寒いが春を迎えるとき

『何もない』なかにある何かが見える。

本当は
『何もない』のではないのである。

私は襟裳岬に
何回か行ったことがあるが
岬の突端まで出て

風に吹かれながら岡本おさみの
詩心を推しはかったが凡人には無理である。

人との触れ合いの中から
生まれた言葉なのだろう。

岡本おさみは
多くの素晴らしい詞を書いているが
「襟裳岬」も最高の作品と言える。

三番の歌詞の頭から3行は
岡本おさみが最初書いた詞を変えているという。

普段はこういうことはしないのだが

吉田拓郎が
詞を受け取って曲をつけていて
「どうもしっくりこない」
と言って書き直してもらったのが現在の歌詞だ。

岡本おさみが思いを込めて
書き換えた3行で
吉田拓郎は絶賛し
歌う森進一も
「歌手としてではなく
 一人の人間として歌いたい。
 初めてそんな曲に出会った」
とべたぼれ。


二人にはある共通した思い入れがあったという。

ちょうどこの時
スキャンダルに巻き込まれ私生活はどん底だった。

二人ともこの3行の言葉に救われたのだった。

しかし「襟裳岬」は
B面でレコードを出すことに決定された。

森進一は惚れた「襟裳岬」を
ぜひA面にとプロダクション社長に直訴。

何時間も訴えて
とうとう社長も根負けした。

結局、両方の歌をA面にすることで社長も了承した。

かくして名曲「襟裳岬」が誕生した。

三番歌詞


日々の暮らしはいやでも
やってくるけど
静かに笑ってしまおう
いじけることだけが
生きることだと
飼い馴らしすぎたので
身構えながら 話すなんて
ああ おくびょう なんだよね
襟裳の春は 何もない春です
寒い友だちが 訪ねてきたよ
遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ

作詞:岡本おさみ・作曲:吉田拓郎

もうひとつ

「襟裳岬」作成のこぼれ話をもう一つ。

当時、曲ができると
デモテープにして歌い手に渡すのが
吉田拓郎の方法だった。

「曲のイメージとしてボブディラン
 感じはキャロルキング
 そして
 森進一がアダものような声で歌う」

そう思ってテープを渡したのだが
できあがってきたテープを聞いてびっくり。

「イントロで
 トランペットがプァーと鳴った。

 それだけで
 ボブディランも
 キャロルキングも
 アダモも
 いなくなった」

「三番までフルコーラスを聞くと
 すごいニンマリと
 ニヤニヤしちゃった」

「これはすごいことですよね」

「企画した人にまいった」

「岡本おさみにまいった」

「森進一にまいった」

吉田拓郎(語)



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