
1976年(昭和51)
キングレコードから
丸山圭子
「どうぞこのまま」
が発売された。
作詞:丸山圭子
作曲:丸山圭子
編曲:青木 望
こんにちは
健康オタクの あんこう です。
時は、まだ旧き良き昭和の世。
そんな時代に生まれた、
丸山圭子の「どうぞこのまま」
じわじわと売れ出して
とうとう50万枚の大ヒットとなってしまった。
どうしてこれだけ売れたんでしょうね。
その理由を深堀りしてみます。
ぜひ、最後までご覧ください。
軽快なボサノバのリズムが心地よい
丸山圭子の
「どうぞこのまま」がヒットした頃
もう1曲ボサノバ調の曲がヒットしている。
ユーミンの「あの日にかえりたい」だ。
1960年代に
洋楽「イパネマの娘」が大ヒットして
以来ボサノバ人気が下火になっていた。
その10年後の世情が、
ボサノバの
心地よいリズムに合ったんだろう。
丸山圭子は曲が出来上がった時、
「この曲はボサノバが合う」
と直感したはずだ。
アレンジをボサノバ調にしてほしいと
編曲者:青木望に依頼している。
この頃のシンガーソングライターは
プロデューサー的なこともやっている。
フォークソング出身の彼女が
作詞作曲ができる強みを生かした瞬間だった。
1972~1973年では
吉田拓郎「結婚しようよ」「旅の宿」
と
井上陽水「断絶」「氷の世界」
等が
フォークソングの殻を壊し、
新しい音楽作りを模索した。
彼らは
シンガーソングライターに加えて
プロデューサーとしての才能も
発揮し始めたのだ。
その2~3年後に
ユーミン、丸山圭子等が
ニューミュージックの時代を作り始めたのである。
丸山圭子は時代の潮流を見極め
軽快なボサノバで勝負したのである。
「どうぞこのまま」は
フォークでなくロックでもない。
しかし歌謡曲でもない。
日本語のボサノバをプロデュースしたのである。
ボサノバのリズムに乗って
ささやくように歌う。
その声は
なぜか色っぽく感じられる。
1回聞くと忘れられない曲となったのである。
その名曲がラジオから流れてきた。
「あー、丸山圭子だ」
「曲名は『どうぞこのまま』だったよな」
40年以上も前の曲が目の前に流れていく。
ホテルのラウンジにタイムスリップ。
待ち合わせた彼と
ハイボールを飲みながら流れている曲に身を委ねている。
そんな光景が見えてくる。
そう、この曲は不倫の曲だ。
♪
それは ばかげたあこがれか
気まぐれな 恋だとしても
雨は きっと 降り続く
くもりガラスを たたく
雨の音 かぞえながら
どうぞこのまま どうぞこのまま
どうぞやまないで
♪作詞:丸山圭子
作曲:丸山圭子
今の状況を雨に例えて
「ずっとあなたと一緒にいたい」
「でも、
いつかは別れなければならない」
「どうぞこのまま」
「どうぞやまないで」
という
切ない女心を見事に描いている。
当時、二十歳そこそこの丸山圭子だが
実体験だからこそ、ここまで描けるのだろう。
これが売れない理由がない
この曲がヒットした時は何気なく
聞いていたが、
今、改めて聞くと本当にいい曲だ。
軽快だがどこか気だるく、
ノスタルジックな雰囲気がいいね。
若い頃の、まだ景気のいい昭和を思い出す。
だが
おしゃれな都会の歌で、
今、聞いても古く感じない。
むしろ新鮮に聞こえる。
そう感じるのは私だけだろうか。
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