ナターシャーセブン「107ソングブック」と「宵々山コンサート」

こんにちは
健康オタクの あんこう です。

今回は、
高石ともやと
ザ・ナターシャーセブンの
エキスがいっぱい詰まった
「107ソングブック」と
「宵々山コンサート」です。

昭和51年(1976)
昭和48年(1973)

ナターシャーセブン「107 SONG BOOK」の成功と暗転


高石ともやは
最初、反戦フォークを歌っていた。

しかし
仕事の内容やお金のことで
事務所と大喧嘩をして疲れ果てていた。

そして
これまでの歌にピリオドを打って
アメリカへと渡った。

そして出会ったのが
アメリカンフォークの
シンガーソングライター
マルビナ・レイノルズだった。

この時
マルビナ・レイノルズに
こう聞かれた。

「何をしに
 アメリカまで来たの?」

高石ともやはこう答えた。

「フォークシンガーに疲れて。

ポップス歌手にもなりたくないので
仕事を探しに来ました」

マルビナ・レイノルズは
こう言った。

「だめ。

フォークシンガーを続けなさい。

テレビやレコードのない
街で暮らして、
仲間を作ればいい。

あなたを愛してくれる人が
少しずつ広がれば十分じゃない。

あなたを信じる人の輪をつくり、
あなたが
その人を信じればいいのよ」

「ヒットシンガーに
ならなくていいの。
人の輪を作りなさい」

その夜、高石ともやは
京都の友人に電話をし
フォークソングを続けることを告げた。

それから、日本に戻ると
音楽の仲間2人と
「ザ・ナターシャーセブン」を
結成した。

名前の由来は

「3人でも7人分くらい
 質の高い音楽をやろう」
でセブン。

生活の拠点の名田庄村から
ナターシャー。

合わせて
ナターシャーセブンだ。

早速、
京都を中心に演奏活動を始めた。

初期のメンバーは
高石ともや
城田じゅんじ
金海たかひろ
の3人で
マネージャー兼プロデューサーが
榊原詩朗だった。

榊原詩朗は
高石ともや、永六輔らとともに
京都宵々山コンサートを実現させ
名実ともに
ナターシャーの音楽の拠り所となっていった。

1976年、木田たかすけが加わって
107 SONG BOOK(本)が
発売された時は驚いた。

ナターシャーのメンバー達が
歌ってきた歌をメインに
107曲入ったソングブックを
作り上げたからだ。

アメリカンフォークとブルーグラス
などアメリカや外国の曲に
日本文化や土地柄に合わせて
日本語の詞を意訳して作った曲が72曲。

それに
日本民謡や口伝えで歌われてきた歌、
そしてナターシャーオリジナルの曲、
合わせて107曲を
どーんと本にしてしまった。

パソコン、ワープロがない時代
文字は自分たちで写植を打ち、

自分たちで採譜して
全曲譜面入り、
ブルーグラスはタブ譜もついている。

当時のナターシャーの歌が
全て網羅されているバイブル本だ。

販売は行商して歩いたという。

私も1冊手に入れて持っている。

そして全曲を11枚のレコードに
収録して発売もした。

この全活動が評価されて
107ソングブックは
レコード大賞の企画賞を受賞している。

ナターシャーの最盛期だ。

しかし、事態が暗転したのは
1982年
ホテル・ニュージャパンの火災だった。

マネージャー榊原詩朗が
たまたまこのホテルに宿泊して
いたため火災に巻き込まれ、

志半ばで死去してしまった。

核を失ったナターシャーセブンは
その3年後に解散となった。

宵々山・顔見世コンサート


1973年(昭和48年)に
第1回の
高石ともやとザ・ナターシャーセブン
宵々山コンサートが行われた。

このレコードを聴いて
気持ちが高揚したのを覚えている。

日本のフォークシーンで
異質のフォークグループと
カントリーの大御所たちが勢ぞろい。

まずはナターシャーの
「デキシー・ブレークダウン」

城田じゅんじのバンジョーが鳴っています。

続いて「ナイト・ウォーク」

カントリー・ジェントルメンの
得意ナンバーをナターシャー演奏で。

途中で
「ポパイ・ザ・セーラーマン」に
変わる。

金海たかひろの物まねが入る
ポパイ・オリーブが秀逸です。

また「ナイト・ウォーク」に
戻って、大拍手。

ナターシャーの歌が続く。
「私の子供たちへ」
「グリーン・スリーブス」
「近江の子守歌」
「明日になればね」

次は
カントリーの諸口あきら
「リターン・トゥ・パラダイス」

♪流れもんでも 春はある♪

いいですねぇ。

そして
同じくカントリーの大御所
ドン佐野、小坂一也

・・・と

宵々山コンサートの興奮が伝わるレコードです。

この宵々山コンサートは
1985年まで13回続いた。

しかし
マネージャー榊原詩朗の死去により
核を失った影響が大きく

最後は
永六輔の
「ボクシングで言う
 タオルを投げさせてくれ」

の一言で
宵々山コンサートの終了が決定した。

いかに
榊原詩朗の働きが大きかったかが伺える。

圧巻の3人羽織。フォギー・マウンテン・ブレークダウン

学生時代
高石ともやとザ・ナターシャーセブン
のステージを観た。

フォークソングで
エンターテインメントを
兼ね備えたグループは他にないだろう。

とにかく観客を飽きさせない。

圧巻の3人羽織。

曲はフォギー・マウンテン
・ブレークダウンだったと思う。

高石ともや、城田じゅんじ
、坂庭しょうご三人が横並びになって
それぞれ
マンドリン、バンジョー、ギターを
持っている。

この状態で
坂庭しょうごがマンドリンを弾き
隣のバンジョーのフレットを押さえる。

城田じゅんじがバンジョーを弾き
隣のギターのフレットを押さえる。

高石ともやがギターを弾き
左手で扇を持ち扇ぐ。

(並び順はあやふやですが。)

3人とも楽しそうに演っている。

もちろん、観客からは
大拍手。

こんなことをやれるバンドなんて
いないと思う。

ギター、バンジョー、マンドリン、
フィドルといった
変わった楽器構成のグループから
出てくる多才な音楽は最高だった。

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